今年は豪雨と台風そして昨日の地震災害とひどい夏だった.
不幸に至った皆様のご冥福を心よりお祈りすると共に,一日も早い復旧を願うばかりである.
そんな今年の夏もようやく過ぎようとしている.そして夏の終わりになると思い出す出来事がある.
ある年の夏,古い恩師が訪ねてきてくれた.不肖の弟子を心配してのことだったのだろう.久しぶりの再会を祝って,ワインを開けた.キャンティクラシコだ.二本のボトルがテーブルに並んだ.いつも厳しい恩師の顔が心なしかほころんだ.酔いが進むにつれ,恩師はぽつぽつと話をしはじめた.偶然私が選んだワイン,それが彼女(恩師とは女性である)の思い出のワインだと教えてくれた.記念に二本のうちの一方のラベルを恩師にプレゼントした.彼女は静かにほほえみ,私の思い出に出てくるビンテージがなぜ分かったのかしらと問うた.二つのビンテージのうち私が選んだものは全くの偶然,手元から遠いほうのボトルを選んだだけだった.帰り際に,ありがとうの言葉を残して,恩師は静かに去っていった.あの厳しい恩師にありがとうなんて言われたのはいつ以来だろう,そんなことを思いながら彼女の後ろ姿を見送った.あれから先生には会っていない.敬愛するアルゼンチンの作家ボルヘスはこう言った.時間とは永遠に連なる偶然の積み重ね.しかしそのひとつひとつには奇跡が詰まっていると.世知辛い世の中だけど,きっと小さな奇跡はあちらこちらにちりばめられているに違いない.そういえばあの夏も暑かった.
朧夜を葡萄の色に酔ひにけり