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約束

  • hirosquirrel
  • 9月24日
  • 読了時間: 2分

山下達郎の「REBORN」を久しぶりに聴いている。あるフレーズに差し掛かったとき、ふいに胸の奥が疼いた。旋律がゆっくりと心の隅を撫で、眠っていた言葉が浮かび上がってくる。

――「いつか、飯豊山に登ろうか」

父がそう言ったのは、たった一度きりだった。登山好きというわけでもない父が、なぜその山の名を口にしたのか。その理由を、私はいまだに知らない。

けれど、確かに覚えている。あの時の父の声のやわらかさと、目の奥にあった静かな光を。

「好きなようにやりなさい」それが、父の口癖だった。進学で迷ったときも、医師の道に踏み出すときも、そして研究のため遠くへ行く決断をしたときも――父はいつもその一言だけをくれた。何も押しつけず、ただ背中をそっと支えるように。

「飯豊山に登ろうか」その言葉も、同じ場所から発せられたものだったのかもしれない。“行きなさい”でもなく、“一緒に行こう”でもない。“いつか”という、静かな余白だけを私に託して。

私はまだ、その山に登っていない。何度か登ろうとしたけれど、ふもとに立つたびに足が止まった。

登ってしまえば、父との“約束”が終わってしまうような気がした。果たすということが、過去にすることだと思えて、少し怖かったのだ。けれど、登れば父に会える気もしている。風に揺れる木立の奥、稜線の向こう、「よく来たな」と照れくさそうに笑う父の姿が、ふと浮かぶ。

なぜ飯豊山だったのか。なぜ、その一言だったのか。たぶん、もう永遠に知ることはできない。けれどその“わからなさ”ごと、父は私に託してくれたのだろう。自由と、迷いと、そして人生という旅の途中での「何かを選ぶこと」を。

飯豊山は、今日も変わらず東北の空に立っている。登ってもいいし、登らなくてもいい。父ならきっと、笑ってこう言うだろう。「好きなようにやりなさい」と。

私はまだその山に登っていない。けれど、登らぬままという選択も、またひとつの“約束”なのだと思っている。果たさなくても、忘れなければいい。あの日の言葉と、あの背中のぬくもりを、私は今も確かに覚えているから。

「REBORN」の旋律が、そっと流れ出す。

――生きていくことを教えてくれた。――あなたに会えて、よかった。

そして私は、静かに心の中で呟く。いつか、登るよ。きっと。

 
 
 

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