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「美味しい」のその後で

  • hirosquirrel
  • 2025年12月13日
  • 読了時間: 4分

大阪に出張で来ると、街の音が一瞬だけ遠のく場所がある。特別な何かがあるわけでもないのに、ふいに胸の奥がほどけて、逆に締めつけられる。十年前、父を連れて治療のために大阪へ来た、その時間が、静かにに立ち上がってくる。

父は胃癌だった。病名を口にした瞬間から、食事は「日常」ではなくなる。何を食べればいいか、ではない。何が食べられるのか。何なら食べたいと思えるのか。たったそれだけの問いが、こんなにも重いのかと、あの頃の私は思い知らされた。

病院の予定や検査の説明で頭がいっぱいのはずなのに、私の神経は食べ物のことに張りついていた。父が口にできるもの。父が嫌にならないもの。父が、ほんの少しでも「生きる側」に引き戻されるもの。食卓の選択に、祈りみたいな期待を込めていたのだと思う。

重いものは避けようと、美々卯のうどんを選んだ。湯気が立ち、出汁の香りが静かに漂う。華やかさはない。ただ、体の芯を驚かせない優しさがあった。器が置かれたとき、私はそれだけで少し救われた気がした。

父は箸を取った。昔から箸の持ち方がきれいで、食べるときは無駄な動きがなかった。その手が、あの日は少しだけゆっくりで、少しだけ頼りなく見えた。私は見てはいけないものを見てしまった気がして、目を逸らしかけた。でも逸らせなかった。逸らしたら、何かを失う気がした。

父は、麺を少しだけ持ち上げ、ふうっと息を吹いた。湯気が顔の前で揺れて、父の表情を一瞬隠した。すすった音は小さく、咳き込むこともなく、喉を通っていった。私はその瞬間、心の底から「よかった」と思った。治療のことでも、医学的なことでもなく、ただ――食べられた、ということに。

数口食べて、父は少し間を置いてから、短く言った。

「美味しい。」

その一言が、胸に落ちてきた。嬉しいのに、痛い。救われたのに、怖い。大げさではない、けれど丁寧な「美味しい」。私はその丁寧さが、なぜか切なかった。父の横顔を思い出すたび、涙が出そうになるのではない。涙が、もう“出る側”に傾いている。

会計を済ませ、店を出た。外の空気が少し冷たくて、湯気の余韻が頬に残った。父はそのとき、ほんの少しだけ足取りがしっかりしたように見えた。気のせいかもしれない。たった数歩の変化だ。でも私は、その数歩に、救われてしまった。

父はその約二年後に亡くなった。あの日、父が死を予感していたのかどうか、今となっては知るよしもない。ただ、父が自分の体の変化を、私よりずっと正確に感じ取っていたことはきっと間違いない。人は自分の衰えを、言葉より先に知ってしまう。

そして私は、医師になった今でも、ひとつだけ決して消えない感情を持っている。自分の力で父を救えなかった後悔だ。冷静に言えば、病気の経過には抗えないことがある。最善を尽くしても届かない場所がある。そんなことは理屈ではわかっている。けれど、理屈が痛みを消してくれるわけではない。

もしも、もっと早く気づけていたら。もしも、違う選択肢を提示できていたら。もしも、もう少しだけ父の時間を延ばせていたら。「もしも」は医学的には無意味で、個人的には残酷で、でも人間としてはどうしても手放せない。

それでも父は、あの大阪で「美味しい」と言った。たぶんそれは、父なりの“生きる側への返事”だったのだと思う。治療に付き添う家族に対してではなく、あの時間そのものに対して。「まだ大丈夫だ」と言う代わりに、「美味しい」と言ったのではないか。そう考えると、涙が止まらなくなる。

私はときどき、「最後の親孝行だった」と思う。立派なことをしたわけじゃない。人生を変えたわけでもない。ただ父が負担なく食べられる一杯を選び、同じ湯気を見て、同じ出汁の匂いを吸って、父の「美味しい」を受け取った。ほんのひととき、家族の食卓だった。それだけ。でも、親孝行って、たぶん結局そういうことだ。取り返しのつかない日常の一場面を、こちらの手で守ること。

大阪に来た今日、私は仕事でこの街を歩いている。胸の奥に後悔を抱えたまま、それでも歩く。償いという言葉は、簡単に使いたくない。父の死は、何かと引き換えに帳消しにできるものではないからだ。

だから私は、覚悟を選ぶ。父を救えなかった自分を、言い訳で守るのではなく、その後悔ごと引き受けて生きる覚悟。誰かを救える瞬間が来たときに、迷わず手を差し伸べられるように。救えない瞬間が来たときに、逃げずに寄り添えるように。弱さを見ないふりをせず、でも折れないように。

だから私は、祈る。

あの日の父が、店を出たときに見せた“少しだけしっかりした足取り”の感覚が、父の中でも確かな光として残っていますように。食べることが難しくなっていく日々の中で、あの一杯が、父の心の灯をほんの少しでも守ってくれていたのなら、それでいい。そして私がこれからも、誰かの「美味しい」を守れる人間でありますように。救えなかった命の重さから目を逸らさず、救える命の前で躊躇しない人間でありますように。

胸の奥が濡れても、歩ける。あの数歩が、まだ私を生かしている。


『湯気の椀 「美味しい」を運ぶ 冬の風』

 
 
 

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