top of page

コンピュータは ”わくわく” しない,と思う...

  • hirosquirrel
  • 2018年12月17日
  • 読了時間: 2分

 先日の新聞に「文系学生にも数学を」という記事が載っていた. 日本の経団連の方々の要望だそうである. うーんと思っていたのだが,東京で本屋さんをぶらついていたら,センスメイキングという本に出会った.こちらはアメリカの話であるが,テクノロジー或いはデータ至上主義の今こそ文系の力が目利きとして重要だという.似たような話であるが,根本は大きく違うように感じた.日本では文系学部関連の予算削減が報道を賑わしていたこともあり,実利というか比較的目先の功利を目指す方向となっていることにいささかの懸念をもつ.先日学生さんと話をする機会があったが,学年の若い学生さんは医学部は理系ですよね,と言うのに対して卒業近い学生さんは,いや,医学部はかなり文系に近いと思うよ,といっていたのが印象的であった.そもそも理系とか文系とかの分類がどうかとは思うが,医学や医療においても文化教養学的な知恵は大切だなと思う. このような意味で,少なくとも理系の中での文系的な知恵の大切さを,ちゃんと学生さんは理解している.このことを聞いて私は少しほっとした覚えがある.日々の仕事のなかでモチベーションを作り出すのは,決してデータのみではなく,何らかの文脈に裏打ちされた”わくわく感”であり,これをどう植え付けて行くかが我々大学人の大切な仕事のひとつだと思うのだが.

一言:福島にもようやく初雪の便りが届きました.いつもより遅めの雪です.

「外科室の窓にあらはる星冴ゆる」

             Crann Clog


 
 
 

最新記事

すべて表示
約束

山下達郎の「REBORN」を久しぶりに聴いている。あるフレーズに差し掛かったとき、ふいに胸の奥が疼いた。旋律がゆっくりと心の隅を撫で、眠っていた言葉が浮かび上がってくる。 ――「いつか、飯豊山に登ろうか」 父がそう言ったのは、たった一度きりだった。登山好きというわけでもない...

 
 
 
「彼岸との交感 ― 生の淵にて」

この夏、私は「死」という輪郭なき存在と、いく度も静かにすれ違った。それは喪失でも絶望でもない。むしろ、時空の裂け目から滲み出る、生の根底にある「異質な気配」との邂逅であった。 恐山にて、風は語らずして語った。硫黄の匂いと、岩場に散る風車の回転音。そこには死者の沈黙があったが...

 
 
 
アクラの風

以前、がん免疫療法の父と呼ばれたWilliam Coleyと野口英世との接点に関するエッセーを書いた。それからいくつもの論文や著作をみてみたけれど、結局のところ接点は見つかっていない。生成AIに聞いてみた。もし二人に何等かの接点があったら?そうしたら以下のエッセーを作ってく...

 
 
 

コメント


bottom of page