数年前(コロナ禍前のことだ)にふとしたことから、今は亡き父の言葉を思い出した。
お前ら(私と弟)と一緒にいつか飯豊連峰に行きたいものだ、といっていたことだ。そのとき子供だった我々は気にとめることもなかった。我々が実家を離れ、そして父が病気で亡くなったあともそんなことはすっかり忘れていた。
コロナ禍になり、仕事以外では外にでることもなくなったことも手伝って、本を読んだり、Webを散策したり(適切な表現ではない?)することが増えていたあるとき、Web上で飯豊山のを目にした。そしてこのことをきっかけにまた父の言葉がよみがえった。これまで山登りなど露も考えたことはなかったが、気にすると気になり始めいろいろと本を読んだり、youtubeやWebの情報を見ていると、どうやら今は空前のアウトドアブームらしい。そしてこれ以降、すっかり山シミュレーションにはまっている。どうやら、飯豊は初心者にはなかなか手強い山であるようだ。しかしながら、東北には初心者でも楽しめる素晴らしい山々が沢山あることも知った。そして日本全国に目を移せば、どこにでも良い山が沢山ある。今年、コロナ禍がなければ北アルプス、立山に行こうと計画していたこともあったが、それはなくなってしまった。来年は上高地から涸沢まで足を伸ばしたいと思った。さすがに槍ヶ岳は無理でも、近くから眺めるだけでも十分な迫力だろう。そんな計画だけを立てている日々だが、それはそれで楽しいものである。
そしていつか飯豊に行ってみよう。
父は私達に何を見せたかったのだろう。父は若いときに飯豊に行ったのだろうか(そんなことも聞くこともなく、父と別れてしまった)。
飯豊に行けば、父の言いたかったことが少しはわかるかもしれない。そしてひょっとすると父に会えるかもしれない、そんなことを考えた。
山笑う 歳月人を 隔てけり
鈴木真砂女
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